【葵町製糸場プロジェクト】製図を書いた「海老原章利」の謎。葵町と岡山県笠岡市のつながり(2019.2.6)

この製糸場の図面には、1枚の袋が付いていました。裏には海老原章利と書いてあります。

文献によると、当時の「小田県」から技術伝習生が派遣されていることが分かっていて「海老原虎太郎」という名前が残されています。

この海老原虎太郎→が海老原章利ではないかという説が濃厚です。

その後岡山県笠岡市(当時の小田県)では早くも明治7年に「笠岡製糸場」が誕生し、周辺の近代製糸業に大きな影響を与えました。

もしかしたら笠岡市には「海老原章利」につながる資料がまだ眠っているかもしれません。海老原章利につながる資料があれば、技術伝播の流れの一つが明らかになります。

あっという間に全国各地に作られていった近代製糸工場。海老原章利のような技術伝習生が、懸命に製図を作図し、先端技術として伝えていったと思うと、胸が熱くなりますね。